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3号

「生まれ育ちと転職前のそのはなし。」


はじめましてもそうでない人もこんにちは。

2016年9月に千葉県松戸市から長野県上田市にIターンをしたアラフォー単身・3号です。

突然ですが、なぜ婚活もせず、親戚もおらず実家ですらない長野に移住したかをお話ししたいと思います。

日本一言葉が汚いと言われる河内の国のお膝元、大阪府富田林市で育ったワテクシ3号。

意識が芽生えた時から、GWから11月まで蒸し暑苦しい大阪の亜熱帯気候が大嫌いでした。

夏は好き。汗だく万歳。だって夏だから。

大阪も好き。大阪弁万歳。喋るのめっちゃ楽チン。

だが湿度だけは認めない。

そんな私が学校卒業しばらくして、東京の会社に涼を求めて就職したのが事の始まりでした。

関東に引っ越して最初の3年は快適な夏を過ごすことができましたが、人間は慣れる生き物。

5年を過ぎる頃には首都圏の夏なんてものは湿気むんむんの灼熱地獄だと、室外機の破壊衝動にかられる日々を送るようになりました。ああ、慣れってほんと怖い。

(ちなみに実家の大阪には真冬にしか帰省しておりません。だって暑くて。)

仕事は不安定な業界で、入社時に会社代表に副業を勧められた(衝撃)けども終業時間に帰れることはほぼなし、年間休日も少ない上にシフト制、副業をやれるもんならやってみろと(笑)。

それでも気がつけば中堅クラスになるくらいは勤めていました。

そんな時に兄貴と10年以上振りに会ったんです。もー、本当に無意味に仲の悪かった兄妹でして。

お互い大人になったなー、なぁんて言いながら、親も定年だし今後どーするよって話になりましてですね。

ぶっちゃけ親の面倒を考える余裕が時間的にも金銭的にも全くなかったので、動揺しまして。

え、定年なの?みたいな。

仕事も自分の好きな業界に勤めていたので、正社員の給料手取り14万でも給料がもらえるだけマシだと思っていたんですが、兄弟共に結婚するでもなく、実家に住んでいる訳でもなく、自分も含めて今後どないするつもりやねんと不安みたいなものが一気にグワワーと押し寄せまして。

まぁたそんな時に、会社代表が俺会社飽きたから仕事辞めるってよ宣言(意訳)をして、まさしく追い討ち。

うっすらこのままでいいのかな~?と思うでもなく考えていたことがドンっと城壁クラスで立ちはだかった春。

自分優先をやめて転職活動を開始しました。

だからってなんでいきなり長野なの?という話ですが、こちらはまた次回。

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